二〇〇六年 正月
正月とは
「大きな日常」積り行く
果てなき汚れと戦う日なるか
この先の
道の長さも勾配も
知るよしなくて下りゆくかな
老い就けば
淡き苦みを懐かしみ
ひとり野蕗を茹でるこの午後
楽しみは
そろそろ今年も食べごろと
庭の小藪に蕗さがすとき
東日本震災の日に
九段にて
淡淡と
明かり点ければことさらに
哀しきものか散り急ぐ花
堀瑞の
古木の桜夕影に
ただ散りつづく泣けとごとくに
むしかりの花、八千穂
唐松の
芽吹きも浅きこの藪に
ムシカリ咲くと知るは我のみ
人知れず
咲くムシカリよこの春も
なれを尋め来ぬ藪踏み分けて
春浅き
林に咲けるムシカリは
秘めし宝ぞ人に知らるな
そのかみの
唐の都にさきしとふ
瓊花の裔かムシカリの花
広州に旅して
ムーミエン木綿の花
(パンの木)に会う
ムーミエンの
巨木にあまたの大輪花
地球の力集め咲き出ず
花好きの
われがクレヨンで描きしに
似たるパンの木の花
二〇〇七年 異土の花
正月 ダツラ
(エンジェルズ・トランペット)
に寄す
元旦に
満開になってる変なダツラ
いまふるさとは暑い盛りか
挽夏より
次から次へと咲き継いで
とうとう元旦にも咲いてるダツラ
エンペラーダリア
丈高く
茎猛々し「エンペラー」
咲きたる花は優しき紫
冬空に
高だか花を掲げたる
エンペラーよ いま故郷は夏か
「皇帝」と
名は大仰なのっぽダリア
空に清楚な花をそよがす
近所の小さい廃屋の庭
独り居の
老女の去りてかくばかり
昔好みの花残るとは
秋海棠、
萩、山吹や、ホトトギス、
ふと哀愁をそそられて立つ
病院の花
「病室に花は禁止」
とはなんてこと
昔は「病院の必需品」なりしを
病室に
花贈ること禁じられ
見舞客帰る花持ちしまま
諸葛菜の花
わが庭の
春の主役は諸葛菜
撒かず植えずの世話なし花壇
気が付くと
そこら一面咲き満ちる
諸葛菜は「春の女神」が咲かす
花終り
姿消えても諸葛菜
こっそり挽夏に発芽の賢さ
古き友を悼む
おだやかに
笑みつつワープロ誌創刊し
九年も編集長担いし君よ
古き友
集めて君が指揮をして
「ケンタッキーの我が家」を
聴いて別れぬ
池袋の店で、これが最後の会となった
「向こう側に
逝きし師と友に呼びかけて
語るが日課」と言いし君かも
来年も
花見しようと何気なく
言い交わしたが
あなたはもういない
(自由学園の庭で)
例年の
とおり宛先書きかけて、
いいえ、賀状はもう届かない
古き友
逝きし酷暑の夏過ぎて
芙蓉咲き出ず憂いも見せずに
二〇一四年末 膝の故障
老いるとは
立ち歩く骨の磨り減って
悲鳴を上げることと知りたり
「老いたり」と
言いつつ直視せざりしか
生身を襲うその現実を
年ふれば
部品の耐用期限過ぎ
膝の骨まで「取り替えばや」とは
二〇一四年大晦日、それまで我慢していた左膝の痛みが激痛となり、膝に水ではなく血が貯まるようになった。入院し検査手術し、膝関節の取り替えを勧められたが断った。
足萎えて
夫の供うる仏前の
茶のおさがりを捧げ持ち飲む
老女かこむ
お見舞い客のおしゃべりが
危険区域に近づく気配
(入院中、隣の老女)
退院し
戻れば庭の蕗のとう
伸び放題のさま猛々し
「御老体、
もう草取りは無理だね」と
傘ほど伸びたフキノトウが言う
ふっくらと
葉に隠れてた蕗の蕾
あっというまに「トウがたってる」
ゴーヤーのうた
初生りの
ゴーヤー嬉したっぷりと
水貯えて太きその棘
初生りの
ゴーヤー愛でて我が背子が
厨に立ちし嬉しき眺め
耐えがたき
炎暑に負けぬゴーヤーの
棘より水のしたたるが如
威勢良く
突き出すゴーヤーの棘撫でて
盆の酷暑を払うまじない
孫三人
突然に
言葉おぼえて孫息子
溢れるようにくりかえし言う
置かれても
泣かずおっとりほほえめる
二番目の子の余裕あるさま
三人の
孫すこやかに七五三
うれし新幹線の旅
二〇一六年
目白・雑草はびこる
草取りの
汗にぐしょり濡れた身ぞ
今さら雨を避けるものかは
炎熱の
夏を生き延びはびこれる
雑草いずれもつわものぞろい
藪枯らし、
屁糞蔓に羊歯 十薬
笹まではびこる覇者の楽園
オヒシバに
まじり懐かしカヤツリ草、
おまえまで出たかまるで原野だ
二〇二〇年 春
「花」に寄せる
八十路とは
寂しき路か呼び慣れし
花の名さえも霧に覆わる
美しき
千変万化の「花」生みて
育てし地球を滅ぼすは「人」か
地球に住み
大地に咲き出た数しれぬ
「花」を愛したわれは幸せ
幼き日
摘みしスミレの優しさを
八十路にて恋う胸痛むまで
七十年
過ぎし疎開の思い出は
まず純白の大でまりの花
幼き日
「疎開」した村は寂しくも
野の花咲ける懐かし「花園」
山登り
大好きなれど高さより
珍しき「花」を見るのが目あて
庭隅の
藪にもめげず咲き出でた
レース編みのシャガ 繊細な細工
多摩川の
岸辺で出会ったキンランの
花懐かしや会いに行きたや